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越中 「富山城」 別名 「浮城(うきしろ)」「安住城(あずみじょう)」

今回の出張は金沢からレンタカーを借りたので、富山城址公園の駐車場に車を止めて代理店廻りをした時に撮った画像。-------------------------------------------------------------------------富山城は豪族水野勝重(のち神保長職と改称)が、天文12年(1543年)頃築城したという。天正8年(1580年)、佐々成政が越中守護職を任じて入城、大改築を行なったが、同13年、豊臣秀吉に降ってのちは、加賀の前田利家の領有となった。寛永17年...

「国宝松本城」 夜のライトアップと早朝の虹

先月の出張の際の「松本城」の画像、昨年に続き2年連続。残念ながら仕事なので、さすがに昼間訪れる事が出来ずに夜と朝のみ。ただ夜はお城のライトアップが見れて、朝は雨上がりの虹を見る事が出来ました。...

遠州 「掛川城」 その周辺 大日本報徳社、竹の丸

掛川はお城だけでなくその周辺に歴史的な建物が結構あります。二宮尊徳(二宮金次郎)の教えに基ずいた「大日本報徳社」もそのひとつ。...

遠州 「掛川城」 夕刻、夜、早朝

掛川城と言えば「山内一豊」だが、今川、徳川とわたり「山内一豊」の時に改装されて再び徳川の譜代松平家が治めたお城。お城は天守閣も含めて予想以上に立派な形に復元されている。出張時に訪れ、この近くに宿泊したので夕刻、夜、早朝と3つの光景を見る事が出来ました。...

函館五稜郭公園と五稜郭タワー

北海道のお城と言えば、ここ「五稜郭」と「松前城」しかないので、そして築城150年と日本の城の中でも一番新しく歴史が浅いお城。北方防備の目的で造られた、日本初のフランス築城方式の星型要塞。幕軍と官軍の最期の戦いである箱館戦争の舞台となった。...

瑞鳳殿(ずいほうでん) 仙台 広瀬川沿い

仙台で仕事の合間に少し時間がありましたので、以前近くまで行ったのに閉園時間が過ぎてしまって中に入れなかったので、行ってきました。杉木立に覆われた境内に仙台藩祖伊達政宗公の御廟瑞鳳殿、二代忠宗公の感仙殿、三代綱宗公の善応殿がある。...

国宝・彦根城  城内 ライトアップ 「ひこね夢灯路」

「彦根城」に行ったのが夕刻だったので、先に「彦根城博物館」を見ていたらいつのまにか日が沈んできて、天守閣に登ったのが閉館ギリギリ。その変わりお城の外観のライトアップを見る事が出来ました。...

国宝・彦根城 彦根城博物館

「お城」にも色々有りますが、明治維新の取り壊しにも昭和の戦災からも免れ、今も現存している天守閣を持つ城は全国に60ほど在り、その内で国宝に指定されているのが4つのお城。姫路城、松本城、犬山城そして彦根城。徳川四天王の一人「井伊直政」が関が原の戦いの軍功により、最初は石田三成の「佐和山城」を貰い受けたが、琵琶湖に近い「彦根城」を築城。ただ直政は、関が原で受けた傷が元で1602年に死去したので、子の直継と...

彦根城の朝焼け 新年明けましておめでとうございます。 

新年の初めは、初日の出とかは行ってないのですが、近くの神社で初詣を済ませました。画像は以前に行った「彦根城」の朝焼け。...

近江長浜城 琵琶湖の眺め

長浜城に行った時の画像、天守閣は再現したものだが上がって琵琶湖を眺める事が出来ました。羽柴秀吉(豊臣秀吉)が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名した。小谷城で使われていた資材や、あらかじめ、竹生島に密かに隠されていた材木などを見つけ出し、それらを使用し築城を開始した。...

金沢城 「石川門」とその周辺の夜景

金沢駅から「香林坊」まで約2kmちょっとかと思いますが、地方都市は必ず駅前が一番栄えているとは限らず、少し離れている場所に繁華街とか市役所などの官庁街があります。自分が住んでいるさいたま市大宮とはえらい違い、確かに「大宮駅」だけ見れば鉄道の街だけあって、全国でもベスト10に入るぐらいの大きさですが、駅を中心に商店街、繁華街は東、西口ともに500m範囲内のみ。1kmちょっと行けば「見沼たんぼ」ですから。そんなこ...

「福井城」と「北の庄城」

「福井城」と「北の庄城」とは違うということを最近になって知り、福井に行ってそれを間違いなく確認致しました。古い方の「北の庄城」は、織田信長の重臣「柴田勝家」が築いた城。当時、自分の憧れの「上杉謙信」を食い止める為に建てられたもので、その後「お市の方」、「三姉妹」も所縁の城だが、今ある「福井城」とは全く関係なく、場所も少し離れていて今は「柴田神社」となって微かに石垣跡が残されているだけ。城の復元とそ...

米沢城 (上杉神社)

前日夜に行った「上杉神社」、他の米沢の名所を廻る為にまずは「米沢駅」に戻ってから荷物を預けて、レンタサイクルを1日レンタル。歩きもたっぷり時間のある時にはいいのですが、効率よく廻るには自転車が一番いいです。再び「最上川」を越えて「上杉神社」へ。「米沢城」跡が「上杉神社」になっています。中に入ると圧倒的にこの方の存在が目につきます。ただ本人は、恐らく一度もこの米沢の地を踏んではないと思いますが、やは...

米沢城 (上杉神社) 夜の訪問

「磐梯猪苗代ウルトラマラソン」のアフターの話がマダマダ続いちゃいますが、酒田から米沢に着いて、もう完全に陽が暮れていてビジネスホテルにチェックイン。ここが結構駅から離れていて、市内を流れる「最上川」沿い。米沢の街の中心を求めてさまよい歩いていたら、ここにだどり着きました。この街に来たのもこの方が目的、「上杉謙信公」。そして他の上杉家の方もろもろ、ちゃんとうっすらですがライトアップされてました。さす...

会津若松城 (鶴ヶ城) 茶室麟閣(りんかく)

鶴ヶ城公園内にある、千利休の子・少庵が建てたと言われる茶室。豊臣秀吉の奥州仕置きによって天正18年(1590)蒲生氏郷が会津に入り(42万石のち92万石)、近世的支配を確立していきました。氏郷は織田信長の娘婿であり、器がおおきく勇猛な武将であるうえ、この時代を代表する文化人で、特に茶道に親しみ、のち利休七哲の筆頭にあげられるほどでした。 天正19年(1591)2月28日、千利休が秀吉の怒りに触れて...

会津若松城 (鶴ヶ城) 天守閣

会津は戦国時代に、葦名・伊達・蒲生・上杉・保科・松平と数多くの有名な大名が、治めた歴史があります。また、幕末戊辰戦争では旧幕府派(東軍)として最後まで抵抗したため、会津が激しい戦場となりました。関が原の時に大軍を率いて「徳川家康」が会津攻めをする前に、西へ引き返したが幕末にはその徳川方(松平)幕府軍が、ここ会津を攻められたのは何かの因縁があったのでしょうか。...

会津若松城 (鶴ヶ城)

鶴ヶ城とは…難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月、城は落ちなかった。石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年のこと。葦名・伊達・蒲生・上杉・保科・松平と数多くの大名が治めた歴史があります。幕末戊辰戦争では旧幕府派(東軍)として最後まで抵抗したため、会津が激しい戦場となりました。(会津若松観光公社のサイトより)...

上杉謙信公の菩提寺 「林泉寺」

「林泉寺」は、長尾能景(ながおよしかげ)が開山した。その約40年後、能景の孫でまだ7歳の幼い少年が、林泉寺の門をくぐり、そののち7年間、6代目の住職天室光育のもとで薫陶を受け育てられた。その少年こそがのちの上杉謙信、すなわち長尾虎千代であった・・・・・。...

上杉謙信公の居城 「春日山城」と「春日山神社」

春日山城は、難攻不落の山城とよばれ、とにかく天然の要害。この城を攻めようと思った武将は一人もうなかった。本丸跡の脇には再現された「毘沙門堂」が、謙信は必ず合戦の前に毘沙門堂に篭って精神を統一してから出陣した。...

上杉謙信公の居城 「春日山城」

「春日山城」は上越市中部にある春日山山頂に築かれ、天然の要害を持つ難攻不落の城とされ、長尾為景、長尾晴景、上杉謙信(長尾景虎)、上杉景勝の四代の居城。別名を「鉢ヶ峰城」ともいい「春日山」の名称は、奈良の春日大社に由来する。天守閣とかは残ってないですが、春日山城は自然の地形を活かした郭、空堀、土塁などが無数に築かれており、現在でもその一部を目にすることができる。春日山には散策道があり、自然観察なども...

上杉謙信公と春日山城展 

以前行った時のものですが、歴史上の人物で尊敬している武将はと聞かれると「上杉謙信」と答えています。小さい時に見た大河ドラマ「天と地と」に感銘を受けて、数年前にやっていた「天地人」もしっかりと見ていました。天下という野望はなかったが、「義」を貫いた武将。最後は酒の影響で、脳溢血で49歳で世を去ったがもう少し生きていたら、信長が天下を取れていたか分らなかった。最初「春日山」だけに登って一周するつもりだっ...

弘前城(鷹岡城)

弘前城は「津軽氏」4万7千石の居城。歴史の大舞台にはあまり出てこないが、「弘前城」といえば桜が有名。城内には2600本の桜の木が植えられていて、開花が遅いので丁度ゴールデンウィークの頃が毎年見頃。うっそうと茂った木々がこの時期でもすばらしいが、やはり桜の時期に一度来てみたいものです。...

「久保田城」(秋田城)

「久保田城」は佐竹氏の居城、正式な秋田城は別にあります。佐竹義宣は関ヶ原合戦において徳川家康に味方しなかった理由で、常陸水戸54万5,600石から秋田への転封を命じられた。秋田に転封された佐竹義宣は久保田の地、神明山(現在の千秋公園)に新たに城を築き、城下町を建設した。6月に出張時の仕事が終わってから訪れたので、天守閣はすでに営業時間が終了していて入れませんでした。...

松山城(勝山城)

松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の1人、加藤嘉明(かとうよしあき)が築いた四国最大のお城。加藤嘉明は、加藤清正、福島正則に比べ賤ヶ岳七本槍の中では目立たない存在だが、水軍を率いて朝鮮にも出兵した人物。関が原の貢献の後に、伊予松山20万石に加増移封され松山城の建築を開始したが、その後「会津」に40万石に加増され移っている。松山城は、日本で12か...

広島城 鯉城(りじょう)

広島城は別名が鯉城(りじょう)で、広島東洋カープのカープ(鯉)はこの城から名前が付いたそうです。広島城は、豊臣秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元が築いた典型的な平城です。江戸時代には、福島氏、次いで浅野氏が居城していた。行った時はすでに17時を過ぎていたので入れなかった。...

加藤清正と熊本城(銀杏城)

今頃になってですが、東北の「弘前城」ではやっと桜が満開というニュースが流れていましたが、3月に九州に行った際に訪れた「熊本城」では、丁度桜が満開でした。桜の木より銀杏の木の方が有名なので別名「銀杏城」。熊本城と言えば、「加藤清正」。戦国武将の中では「上杉謙信」の次に好きな武将。でも今だ不思議なのは、これだけの武将なのに「関が原の戦い」には参加しなかった事。なのでこの「熊本城」の築城をしていたので、...

上越 「高田城」ここは桜が丁度満開になったばかり

「高田城」は、徳川家康の六男松平忠輝公の居城として築かれた城。春には日本三大夜桜、夏には東洋一といわれる蓮を楽しむことができます。仕事の合間に丁度昼時に行ったが、本当は夜桜が有名なので夜に訪れたかった。妙高、黒姫山の山々はまだまだ雪が積もったまま。...

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